うつ夫とパニコの人生いろいろ

これは20代でうつ病になった夫とパニック障害になった妻の物語。ゆる~い四コマ漫画とともに人生いろいろな日々をお届けします。

社交辞令がややこしい!!うつ夫の悩み「また食事でも行きましょう」は挨拶?

「社交辞令」

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コミュニケーションが悩みの種

私の夫(うつ夫)は、7年間うつ病闘病生活を送っていた。

夫がうつ病になった原因は、様々な要因が重なり、ストレス処理ができなくなってしまったからだ。

 

ハードな生活や睡眠不足、膝のケガ、人付き合いの悩みなど…、当時の話を聞けば本当に色々あったようで(汗)、相当心がいっぱいだったのだろう。

 

ありがたいことに今ではほとんど回復し、人並みの生活を送れるようになった。

 

しかし、うつ夫には今だに悩まされていることがある。

それが人付き合い、いわゆる「コミュニケーション」だ。

 

 

「社交辞令」が理解できないうつ夫 

そして、最近になってある疑惑が浮上した。

それは、もしかしてうつ夫は大人の発達障害なのでは?ということだ(汗)

 

というのも、うつ夫は社交辞令があまり通じない(笑)

これが、コミュニケーションを困難にさせる要因の一つでもある。

 

特に発達障害の診断を受けた訳ではないのだが、情報収集をしてみると大人の発達障害の一例として、「社交辞令が理解できない」という内容がよく挙げられているのを知った。

 

 

「また食事でも行きましょう」を真に受けてしまう

冒頭の四コマでも描いたように、「また食事でも行きましょう」というようなセリフは挨拶的な意味合いでよく使われるものである。

 

うつ夫はどうしても、この言葉を真に受けてしまうのだ(汗)

だから、「また食事でも行きましょう」と言われれば、本当に企画を立ててお誘いする。しかし、結局忙しいなどの理由で断られてしまうことも多いのだ。

 

こういうことが重なると、うつ夫の中で違和感が生まれ処理できなくなってしまう。

 

 

社交辞令は場を和ませるための気遣い?

もちろん、社交辞令を言うのが悪いという訳ではない。 

社交辞令は、日本の風習の中で育まれた場の雰囲気を和ませるための気遣いなのだろう。

 

お互い良い気持ちでいるために社交辞令が必要な時もあるのだ。

しかし、うつ夫にとって、こうした湾曲的な表現はややこしい限りである(汗)

 

 

「また食事でも行きましょう」に隠された意味

「また食事でも行きましょう」

という言葉を発する時には、大きく分けて次の二通りがあるだろう。

 

ひとつは、本当に行きたい時。もうひとつは、社交辞令として。

 

前者の場合は、きっと具体的な場所や日程の話が積極的に出てくるはずだ。

そうでなければ、きっと社交辞令だろう。(とパニコは思う。)

 

そして、社交辞令の場合、次の3つのことが推測できる。

 

①何となく別れ際の挨拶として使っている

②「今後もあなたとつき合いを継続したいですよ」という好意を比喩的に表現している

③「今日これから行く」という選択を避けるために使う(先延ばし)

 

考えれば他にも様々な意味合いが隠されていそうだが、いずれにせよ、これらは本当に行くつもりでは無いのである。

 

「ダイエットは明日から」という言葉と同じくらい確証のない言葉なのだ(笑)

 

つまり、「気持ちはありますよ!」という表現であって、実際に行動に移すかどうかは別の話である。

 

だから、この社交辞令の言葉は、相手の気持ちだけ受け止めればいいのだとパニコは思っている。

 

 

言葉はストレートな意味だけじゃないから難しい 

しかし、うつ夫にとってはこれが理解しがたいようだ。

他にも、こうした隠された意味を持つ言葉や不明確な表現に、いつも頭を抱えている。

 

人付き合いをスムーズにするために生まれた社交辞令や湾曲的な表現だが、言葉をストレートに受け取るうつ夫にとっては逆効果なのだ(汗)

 

よく言えば素直で真面目ともいえるが、このせいで相手との間にギャップが生まれ、スムーズにいかなくなってしまうのは、全く困ったものである。

 

このように言葉には、ストレートな場合もあれば、隠された意味を持つ場合もあるのだ。

普段何気なく使っているけれど、言葉って本当に難しいものだな、とつくづく感じているパニコなのであった。

 

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