うつ夫とパニコの人生いろいろ

これは20代でうつ病になった夫とパニック障害になった妻の物語。ゆる~い四コマ漫画とともに人生いろいろな日々をお届けします。

うつ病患者家族の心得。何もしないで見守ることもサポートのひとつ!

「パーソナルスペース」

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うつ病は家族のサポートが必要と言うけれど…

これは、私の夫(うつ夫)が、まだうつ病の闘病中だった頃の話である。

今でこそ、うつ症状はほとんど回復したが、数年前の夫は体調の浮き沈みが非常に激しかった。

 

普通に笑い合える時もあれば、全く会話ができない時もありで、パニコは最初そのギャップに戸惑いを隠せなかった。

 

よく、うつ病は家族のサポートが必要だと言われる。確かにその通りなのだ。

しかし、パニコは当初、このサポートの仕方をはき違えていた。

 

サポートとは、常に寄り添い手を差し伸べることだと思っていたのである。

 

でも、本来のサポートはそればかりではないことに、後々気づかされたのだった。

「何もせず、ただ見守ること。」それも、非常に重要なサポートになるのだと。

 

常に寄り添うのは余計なお世話!!

当初、パニコは何とかうつ夫を元気にさせたくて、必死にアプローチをしていた。

 

とにかくポジティブな言葉を投げかけてみたり、あちこち外出に誘ったりなど、誰かがそばにいてくれたらきっと心強く感じるはず、と勝手に思い込んでいたのである。

 

もちろん、寄り添ってくれる人が必要な時もある。でも、そればかりでは無いのだ。

 

そんなことも分からず、「何かしてあげたい」という思いが先行し、余計なお世話をくり返してしまっていたのだ(汗)

 

そのため、うつ夫に「重い!」と言われることもあったし、時には扉をぴしゃりと閉められたりすることもあった。

 

その度に、「こんなに親身になって考えているのに、なんて人の気持ちが分からない人なんだろう(怒)」とよく逆切れしていた(笑)

 

今思えば、パニコの方こそ人に気持ちを理解していなかったのだが、当時は必死だったのだ(汗)うつ夫にとっては、本当に余計なお世話でしかないことも多かっただろう。

 

パーソナルスペースを考える

 そんなこんなで、手探り状態のまま過ごしてきたのだが、いつしかうつ病の症状には波があり、様々な段階があることが分かってきた。

 

そして、寄り添ったり声掛けしたりすることが有効な時と、逆効果になる時があることも次第に分かってきたのである。

 

人にはパーソナルスペースという「他人に立ち入られると不快に感じる領域」がある。

 

うつ夫の体調が良い時は、パーソナルスペースがオープンになっている。その時は、パニコは立ち入り、手を差し伸べることができる。

 

しかし、体調が悪い時は、パーソナルスペースが「立入禁止」になる。この場合は、たとえ家族であっても、中に入れないのだ(汗)

 

これを見極める力が、四コマで描いた必殺技「パニコズ・アイ」である(笑)

それまでの経験と観察によって身に付いたパニコの必殺技だ。

 

手を差し伸べるタイミングは見極めが大切

うつ病患者の家族にとって重要なのは、手を差し伸べるタイミングの見極めなんじゃないかと思う。

 

「今手を差し伸べる時か、否か!?」

 これを間違うと、サポートのつもりでも、ただのお節介になりかねないのだ(泣)

 

 そして、「立入禁止」の時は潔く身を引くのも重要だ。相手のパーソナルスペースに無理やり押し入って、手出し口出しするのは、ただの執着になってしまう。

 

相手が必要な時には手を差し出す。それ以外は何もしないで見守る。

 

それが、いつしかパニコが身に付けたサポートのスタンスだ。その方が、相手にとっても自分にとっても、心地の良い在り方なのだと気づかされたのだ。

 

何もしないことは、「見放す」のではなく「見守る」こと。

どうしても、相手のためになりたいと思うと、「何かする」ことを選択しがちである。

しかし、「何もしない」ことが相手のためになることもあるのだ。

 

「何もしない」というと、見放しているような冷たさを感じてしまうかもしれない。

 

でも、「何もしない」ことは「見放す」のではなく「見守る」ことだと思う。

相手の力を信じることなのだ。

 

この考え方は、うつ病のサポートを通じて学ぶことができたけれど、きっとこの先、子育てやその他の人との関わり方において、役に立つことだろう。

 

その当時は、苛立ちや歯がゆさがあったけれど、こうして学びに変えることができ本当に良かったと思っている。